千人歌CD「夜明―アウローラ」参加者受付中!
2012年5月 2日 16:11
2012年5月 2日 16:11
【 お知らせ 】
最近、テレビアニメ『機甲創世記モスピーダ』の声優に関するお問い合わせをたびたび頂いております。
ミネハハは当時 本名の松木美音(まつきみね)の名前でイエローの声優・歌手を担当しておりました。
エンディング「ブルーレイン」ではミネハハの若い歌声が聴けます。
国内だけでなく、海外にもモスピーダのファンの方々がいらっしゃるのを知り
大変嬉しく思います。ありがとうございます。
2012年4月24日 17:34
【 お知らせ 】
2012年4月19日 14:10
【 お知らせ 】
第三回MINEHAHA東北慰問コンサート 報告書
以下の通り、東北の被災地慰問・コンサートを実施いたしました。
<期間> 2011年7月14日~20日(7日間)
<会場> 全16会場
① 赤前小学校(宮古市)45名の子供達と歌の交流
② 津軽石小学校(宮古市)220名の子供達と歌の交流
③ シ―アリーナ(宮古市総合体育館)20名・被災者
④ 災害FM放送(宮古市)生出演
⑤ りあす亭(宮古市)50名・身障者支援団体・市民
⑥ 高田第一中学校(陸前高田市)50名・被災者
⑦ サンリア・ショッピングセンター(大船渡市)200名・市民
⑧ いやしの村(大船渡市)40名・福祉団体・市民
⑨ 北上中学校(石巻市北上町十三浜)300名・被災者
⑩ 相川子供センター(石巻市北上町十三浜)50名・被災者
⑪ 十三ヶ浜漁協組合長・訪問(石巻市北上町十三浜)被災者
⑫ ホテル観洋(南三陸町)50名・被災者・ボランティア
⑬ 日頃市小学校(大船渡市)67名の子供達と歌の交流
⑭ 老健施設「気仙苑」(大船渡市)80名・施設入居者、職員
⑮ かもめの玉子(大船渡市)100名・被災者、従業員
⑯ 紫山サテライト(仙台市)20名・市民
<参加者>5名
① MINEHAHA(ミネハハ)
② 岩城 安宏 ミネハハ・プロデューサー
③ 小関 佳宏 ギターリスト
④ 加藤 憲一 ありがとう地球財団理事長
⑤ 安達 貞男 日田市夜明振興センター長(特別参加)
<世話人>(敬称略)
① 三上 憲夫(宮古市)
② 伊東 謙介・平 庄二・吉田 雅博・小山真令・牛尾房恵(陸前高田・大船渡市)
③ 大石里美・斎藤 俊明・三浦 勝朗(大船渡市)
④ 仲村 由美子・阿部 憲子・蔵野 由美子(石巻市・南三陸町・仙台市)
<詳細報告>
① 赤前小学校(宮古市)45名の子供達と歌の交流
宮古市街地から車で20分ほどの赤前地区、その高台にある小学校。
及川総一郎校長のお話によると、大津波の直後から避難所となり、集落の方々が力を合わせ、残された家屋の全ての食糧を持ち寄り、三日間徹夜で400名分の炊き出しを行い公平に分配した。その後、自衛隊の救援を受ける。「私達は、しっかり立ち直ってきました。そして今日、MNEHAHAさんの歌で歩きだす勇気を頂きました!子供達と一緒に、必ず!東北から新しい時代の模範を創っていきます!」と力強い宣言。そして45名の子供達の明るい笑顔と一緒に食べた給食の味を、MINEHAHAは「生涯で、初めて食べる給食!忘れ難いものとなった、、。」と感慨深く語った。
CD「いのちの花」45枚贈呈。
② 津軽石小学校(宮古市)220名の子供達と歌の交流
鳥羽 真喜子 校長
宮古市街地から車で10分ほどの津軽石地区にある小学校。内陸にあるため津波の被害は無いと考えられていたが、河川から氾濫、校庭まで波が押し寄せてきた。地区が水没した為に、全校生徒(220名)はそのまま学校内に避難。停電と断水の中、乾パン5個の差し入れを全校生徒で分配した。
「これだけの災害で、子供達は心の傷を負っています。そんな中、MINEHAHAさんの歌は、大きな心のケアになります。職員にとっても大変、有難い!」と偶然にも、かつてMINEHAHAコンサートを企画した方の息子さんが同小教職員としてMINEHAHAと再会、感慨を語った。CD「いのちの花」225枚贈呈。
③ シ―アリーナ(宮古市総合体育館)20名・被災者
宮古市で一番大きな避難所。現在は、仮設住宅への入居が進み体育館内での避難生活は終了していたが、周辺施設の被災者の方々が集まり交流した。
印象的だったのは、隅々まで清掃がいき届いていること。ピカピカの床に積み上げられた支援物資がかえって大震災と津波の被害の大きさを物語っているように感じられた。コンサート終了後、MINEHAHAとの懇談する中で、現在の心境を語りながら思わず涙する人の「これほどの歌は聴いたことがありません、、みんなに聴かせたかった!また来て下さい!」真剣な訴えが心に響いた。体育館を後にする際、我々の車が見えなくなるまで、体育館入り口で見送るご婦人達のお姿には深い感動を覚えた。
④ 災害FM放送(宮古市)生出演
コミュ二ティ―FMとして開局の準備をしている最中に震災が起きる。直ちに放送認可を受け、災害の情報FM局として宮古市民のなくてはならない存在となる。お昼どき、市民の方々が一番耳を傾ける時間帯にMINEHAHAが生出演した。今回の震災に対するお見舞いと慰問コンサートに対する反響、また、復興に努力する皆さんと町の姿に尊敬を覚えるとコメント。DJの方とのトークを通じて、市民の皆様への熱い応援メッセージをお届けした。その後「ありがとう地球」他2曲が宮古市内に放送され、同行した世話人の三上憲夫氏は「大震災・大津波の後に、この歌が宮古市に響くことは、とても意義を感じます。これまで東北人は、あまり積極的に思いを口にしなかったが、これからは世界に向けて平和の尊さを発信したい!」と力強く心境を語られた。
⑤ りあす亭(宮古市)50名・身障者支援団体・市民
宮古市の中心地にある末広町商店街にある「りあす亭」で、身障者を支援するレインボウ・ネットやNPOと商店街振興組合のご協力の下で慰問コンサートを実施した。この商店街は津波の大きな被害を乗り越え、次々とお店が復活し、町の人々に大きな希望を与えている地区。「どの店も、甚大な被害があったが、支えあって復活!これからも宮古復興のシンボルの役割を果たしたい!」と佐香振興組合理事長は口ヒゲをなでながら力強く語った。コンサートは、災害FMを聴いた方やMINEHAHAと親交のある大勢の身障者の方々も訪れ再会を喜びあった。また「歌で勇気を頂きました!」と偶然通りがかりに参加したご婦人も満面の笑顔で感想を述べた。最後に、ありがとう地球財団の加藤理事長からご協力頂いた三団体に記念のCD「いのちの花」を贈呈して、感謝と復興へのエールを送った。
⑥ 高田第一中学校(陸前高田市)50名・被災者
陸前高田市の惨状には声を失った。街そのものが消えている!と言っても過言ではない。4ヶ月たった現在、跡かたずけが進んでいるが、その中で一番印象的なのは、7万本あった海岸線の松がたった一本だけ残っている姿―かつての風光明媚な陸前高田の墓標であり、また復活へのシンボルとなっている。さらに廃墟の街の一角に整然と並べられた無数の車の残骸は、大自然の力の凄さを物語りながらも、それでも負けない東北人のひたむきさと強さを改めて実感させてくれる。陸前高田を見て今回の大災害の本当の恐ろしさを知る思いがした。それは、この街に住む方々の心の空虚感が街そのものの姿であり、一時の勢いだけではなく長期に渡り人知を超えた努力の必要性を痛感させられた。果たして、高田第一中学校の避難生活をする皆様には、歌が届かなかった!と言わざるを得ない。それほどに、
陸前高田市の現状には厳しいものがあった。ただ救いだったのは、今回の世話人・伊東謙介氏のご親族の方々が、各会場に同行され心からの応援するお姿にかえって、こちらが励まされた。
⑦ サンリア・ショッピングセンター(大船渡市)200名・市民
活気溢れるサンリア・ショッピングセンターには、災害の影は微塵も感じられなかった。コンサートが始まる前から会場には、大勢の市民が駆けつけ熱気が溢れていた。「津波でMINEHAHAさんのCDも全部流された、、」「大船渡に駆け付けてくれて嬉しい!」などの声が寄せられ「CDを持ってきていませんか!」と販売を望む声にCDを並べたところ大勢の方が買い求められた。コンサートが始まると買物に訪れた方が足を止め歌に聴き入った。陸前高田市から見えた自然農法家は「普段は、街に出ない母親にどうしてもMINEHAHAさんの歌を聴かせたかった!親孝行出来た!」と感慨深く語る。お世話頂いたサンリアの吉田部長も「これほどの大勢の方が耳を傾ける光景は、初めて見た!」と感想を寄せられ再訪を望まれた。被災地の皆様の心の渇きに歌が沁みていく様子がはっきり感じとれた。
⑧ いやしの村(大船渡市)40名・福祉団体・市民
会場に到着すると、待ち受けていた市民の方々から盛んな拍手が起こった。
以前のコンサートでMINEHAHAの歌を知る方もたくさん見え、満席の状況。すぐにコンサートとなった。静かに聞き入る人、涙する人、うつむいたまま動かない人、さまざまなお姿には、それぞれの心の内を見る思いがした。コンサート終了後には、MINEHAHAとの旧交を温める方や、歌に対する感動を伝える方、自らの近況を語る方、など会場は、終始アットホームな雰囲気に包まれた。いやしの村を主宰する、平 庄二・和雅ご夫妻から、MINEHAHAに対して感謝の言葉と慰問活動に対する支援金が贈られた。最後に参加者全員で記念のカメラに収まり再会を約束した。
⑨ 北上中学校(石巻市北上町十三浜)300名・被災者
千葉県我孫子市在住の歯科医師仲村さんご夫妻が、個人的に支援を続けている集落―石巻市北上町十三浜。わかめや昆布漁で生計を立てていたこの地域は、壊滅的な打撃を受けたにも関わらず支援の手が遅れていた。これを見かねた仲村さんはご家族上げてこの地域の支援に取り組み、親交のあるMINEHAHAに対して慰問コンサートを依頼。今回、それを受けての北上中学校でのコンサートでは、仲村さんご夫妻が持ち込んだ4トントラック満載の生活支援物資も体育館一杯に並べられ、300名近くの被災者の皆さんが集まり、歌と支援物資の真心を受けられた。「仮設住宅が無くなるまで支援を続けます!」との仲村さんのご挨拶に拍手が沸き起こった。その後、行われたコンサートでは、初めて聴くMINEHAHAの歌に感動と感謝の沢山の声が寄せられた。また、津波で奥さまとお孫さん、そしてご自宅を奪われながらも毅然と立ちあがった佐藤清吾十三浜漁協組合長は、「毎週ここに駆け付け、物心両面でのご支援を下さる仲村さんご一家のお姿には、頭が下がると同時に立ちあがる勇気と力を頂きました!」
そして「MINEHAHAさんの歌には、涙が止まりません、、」と続けた。
⑩ 相川子供センター(石巻市北上町十三浜)50名・被災者
この施設は、相川地区の子供センターとして開所準備をしていたが、その矢先に大震災が起こりそのまま避難所となる。佐藤組合長の提案で急遽のコンサート開催となったが、居合わせた方々は「今日で、この避難所での生活が終わる。良い出発の門出になった!」と口を揃えた。
以下の文は、今回の世話人―仲村由美子さんから寄せられた感謝のメール。
東京にお着きになられましたか?18日はありがとうございました。たくさんの方からミネハハさんへの感動と感謝とお礼のお言葉をお預かりしています。氷ついた心がミネハハさんの歌でとけはじめてきましたと言われ、組合長の佐藤清吾さんからはお手紙で、何もなくなった十三浜でミネハハさんの素晴らしい高尚な歌声に接する機会に恵まれ事は宝であり感動したことを書かれていました。涙は生きている印です。ミネハハさんの歌で多くの方々の流した涙〓は生きている証でした。自衛隊も来ていない地域で、今自力で復興に取りかかっています。私はご縁頂きこれから通います。ミネハハさん岩城さん小関さんに心から感謝致します。これからもどうぞよろしくお願いいたします。(仲村由美子)
⑪ 十三ヶ浜漁協組合長・訪問(石巻市北上町十三浜)被災者
小滝・大指・小指・相川・小泊・大室・小室・白浜・長塩谷・立神・月浜
吉浜・追波、この13の小さな集落を合わせて十三浜と呼ぶ。この地域の歴史は古く、営々と漁業で生計を立ててきた。そして、「3.11で全てを失った!」海からの恵みで生きてきた人々が、その海に全てを呑み込まれた。この挫折感と復興への思いを私達は測り知ることはできないが、その一端でもお聞かせ頂ければと、避難先に佐藤清吾十三浜漁協組合長(69才)をお訪ねした。永年、海で鍛え上げられた精悍なお顔と体躯はとても70近い方のそれではない。「十三と書いて本当は、トサと呼ぶんです。元々はアイヌの言葉からきているのでしょう。東北のあちこちにトサがあります、、」土地の歴史に話が及ぶと、滔々と歴史を語り、政治を語り、文化を語り、そして「盆栽バカボン!」と言われていました。と呵々大笑する。
奥様とお孫さんとご自宅と自慢の盆栽とそして、仕事の道具と、、一切を奪われた悲哀などは微塵も感じさせない。かつての村長(むらおさ)や翁(おきな)とは、こういう人物だったに違いないと感じた。復興の成否は、全て人から、その心から生れてくる―東北に人あり、逆境に偉丈夫あり!
尚、今回の十三浜の慰問コンサートの模様は、TBC東北放送で、その日の夜8時からの番組の中で紹介された。取材には、藤沢アナウンサーと鈴木制作部長が同行した。
⑫ ホテル観洋(南三陸町)50名・被災者・ボランティア
ホテル観洋の女将・阿部憲子さんは語る。
「町が津波で呑み込まれていく様子がハッキリと見えました、、。」
「着の身着のままで逃げてきた皆さんを見て初めて事の重大さを思い知り、その日から600名を受け入れました、、。」現在でも500名の被災者がこのホテルに身を寄せている。コンサートの準備を終え、トイレに入いろうとした時、泣き声が聴こえてきた。良く聞き取れなかったがなにか文句を言っている、そして泣きじゃくる。初めは、隣りの部屋から聴こえてくると思ったその時、小学4年生ぐらいの男の子がトイレを飛び出し出ていった。その表情は、何事もなかったかのようだったが、走り去る後姿に震災の残した心の傷の深さを思い知った。
ロビーで行われたコンサートは,次第に人が集まり始め歌い終わったMINEHAHAの下に沢山の人が駆け寄り、ボランティアの方々からも感謝と感動の声が寄せられた。翌朝、山瀬(やませ)と呼ばれる海からの霧で絶景の海も被災した町の様子も消えていた。窓の外からは、カモメの泣き声と潮騒だけが響いてきた―犠牲者の方々への哀悼の意を一層深くした。
⑬ 日頃市小学校(大船渡市)67名の子供達と歌の交流
「内陸にあるため幸い津波の被災は免れました。」伊藤 栄校長は静かな口調で語る。しかし、学校の体育館や敷地には救援物資が積まれ騒然とした状況は 6月一杯続いたという。親戚や知人の突然の悲報は、この集落にも暗い影を落としている。「なにか空白地帯のようなこの地区に来て頂き嬉しく思います。」67名の子供たちばかりでなく先生達もは楽しみにしていた。そして、MINEHAHAと一緒に歌った「自分のこころを大空に向かって放つように歌うのよ!」との励ましで、子供たちも先生も、大きく口を開け、元気一杯に歌った、大空へ心を放った!歌い終え、表情も明るくなった子供たちが体育館を後にする。その時、一人の少年がMINEHAHAに駆け寄り言った。「あのね!トトロはね、、、、なんだよ!」一生懸命に何かを伝えようと話しかける。坊主頭の少年は、自分だけが知るトトロの秘密を、MINEHAHAにそっと教えにきてくれた。勇気を出して、こころを伝えようとする少年の表情と態度に、こころを感じた!私達は涙した。
⑭ 老健施設「気仙苑」(大船渡市)80名・施設入居者、職員
会場に着くと、職員の方々が入口に整列して迎え入れてくれた。
荷物を運んで下さる若い職員の方や、会場へ案内する責任者の方の真剣さに胸を打たれた。会場はすでに入居者の方々や職員で溢れていた。
「浜辺の歌」や「蘇州夜曲」は、一緒に口を動かすたくさんの方がいる。
オリジナルの「ありがとう」「母の歌」では、共感して涙する人がいる。
「MINEHAHA先生は、歌の先生だけに一番よかった!」と歌い終わった
MINEHAHAに大きな声が掛けられ会場は笑い声に包まれた。
今野 千賀子 看護部長は「3.11以来、なにか落ち着かない。なにか物足りない、、。そんな状況でしたが、涙を流しお陰さまで何かすっきりしました。」
入居者ばかりでなく職員の皆様にとっても有意義なものであったとの感想は、われわれにとってなにより嬉しい言葉だった。
⑮ かもめの玉子(大船渡市)100名・被災者、従業員
東北のどの駅でもどの街でも、この看板を見かけた―「かもめの玉子」。
東北、否、日本を代表するお土産の逸品だ。大船渡で創業し、ここに基盤をおくこの企業の第一工場も今回被災して操業できなくなった。「この地で創業して、この地の方々のお力を頂いて今日があります。」齋藤俊明社長は、そう切り出すと創業から今日までを振り返り淡々とお話してくれた。
「工場の配送センターで申し訳ないですが、みなに歌を聴かせて下さい。」
社長、専務、以下従業員の方々が作業着のまま集まってきた。なぜ歌?初めはいぶかしがる表情の方もいたが、MINEHAHAの歌が始まると表情が一変した。何故だか溢れてくる涙に戸惑い、うつむく男性従業員の方、両手で顔の涙を拭きとる若い女性従業員の方、正面からMINEHAHAを見据えたままた身動ぎもしない年配の女性従業員の方、初めて聴くMINEHAHAのバイブレーションにさまざまな反応が見られた。「アンコール!アンコール!」一番前の席で静かに歌を聴いていた齋藤社長が、突然、拍手をしながら、大声で叫んだ!賛同の拍手に迎えられたMINEHAHAが、再び歌う。紅潮し、にこやかな表情で心から歌を楽しむ穏やかな時間が流れた。「今度は、地元のホールにお迎えして市民に聴かせたい!」齋藤社長や川島専務が口を揃えた。忘れ難い慰問となった。
⑯ 紫山サテライト(仙台市)20名・市民
「折角、MINEHAHAさんが仙台に見えるので支援の集いを開きたい。」
生憎、台風の影響で新潟や近隣からお見えになる予定の方々のキャンセルがあり人数は少なくなってしまったが、地域でさまざまな活動をする女性たちが集まってきた。「お名前は知っていましたが、凄い歌でした。心に沁みました。」「MINEHAHAさんの歌こそ、今、東北に一番必要なものです!」さまざまな意見が寄せられ、今後は連携してMIMEHAHAを支援しることを確認しあった。仙台を中心にした東北支援の活動が動き始めた。
<第3回東北慰問コンサートを終えて>
震災・大津波から4ヶ月。三回目となる今回の慰問コンサートでは、東北各地の様々な表情と問題点が浮き彫りにされ、その問題と向き合う形の慰問となった。それは、復興の進捗状況が地域によって大きく異なることが挙げられる。
比較的、大きな市や町は、自衛隊の手が入ったり、ボランティアの方々との連携も取れ易かったりしてかなり後片付けも進み、町並の復興が見られるようになってきている。しかし一方、人口の少ない最沿岸部の集落などは、未だに瓦礫がそのまま残された状況。しかも三陸沿岸を南下すれば、いたるところに手付かずの集落がある。災害の大きさを考えれば、致し方の無いことは良く分かるが、、。小さな集落の被災者の今を思うと心が重くなる。今回そんな集落のひとつ、「十三浜」を訪れた。これは、たまたまMINEHAHAの支援者でもある仲村歯科医院の院長御夫妻が、十三浜の状況を見かねて個人的に支援をする中で、慰問の依頼があったため、こうした状況も良く知ることが出来た。東北の復興は、一朝一夕で終わるものではない。しかし、マスコミが、取り上げなくなった時に、ややもすると支援の輪も自然に消滅の方向に向かうことが懸念される。そのためにも、東北の方々が、受け身ではなく、能動的にこの災害をバネにして、何らかの発信を続ける重要性を痛感した。そこに多くの共鳴の輪が生まれ、各地域の状況にあわせた様々な支援のコラボレーションが生まれていくことも実感した。宮古市で同行した世話人の三上憲夫氏は「大震災・大津波の後に、この歌が宮古市に響くことは、とても意義を感じます。これまで東北人は、あまり積極的に思いを口にしなかったが、これからは世界に向けて平和の尊さを発信したい!」この言葉に、東北の新しい光を見る思いがした。
2011年7月25日 文責:岩城 安宏
2011年8月 9日 21:00
【 お知らせ 】
MINEHAHA・第2回東北被災地慰問コンサート
主催:ありがとう地球財団
協賛:千人歌ご参加の皆様
去る5月6日から11日まで、皆様方の温かいご支援とご協力の元、
東北地方の被災地支援を実施し、無事に終えることができました。
これもひとえに皆様方のご尽力の賜物と心から感謝申し上げます。
前回(4月14日~18日まで・ミネハハ・加藤・岩城・計3名参加。)
青森、岩手、宮城の被災地を訪問し、お見舞いとご意見ご希望をお聴きし、又、行政関係者とも意見交換して、慰問の最適な時期と内容の詳細を検討しました。この現地訪問を踏まえ、万全の配慮のもとに今回の慰問コンサートを実施することが出来ました。
今回(5月6日~11日まで・ミネハハ・加藤・岩城・小関・多賀・西山・計6名参加。)
宮城・岩手で避難所を中心に9会場で約916名の方々に歌を届けることができました。
又、岩泉町町長、田野畑村総務課長、社会教育課長、女川町生涯学習課長、女川観光協会会長、社会福祉法人施設長、他NPO、市民団体、そして、多くの被災者の方々と東北の"これから"についてのさまざまな意見交換も行うことができました。
被災地の状況は、復興へ向かい日々、前進しておりますが、申し上げるまでもなく大規模かつ甚大なものであり、目に見える物質的な復興については急速な展開もみられますが"心身の復興"については、長期戦であり、これからが大きなヤマ場を迎えるものと推測されます。
こうした状況を踏まえ、今後の支援についてはミネハハの慰問コンサートを柱としつつ、
福島についても、弊財団の関係者の参加や国内外のNPOや支援団体とも協働して、積極的に「多角的かつ長期的な実効ある支援」を実施していきたいと念願しております。
皆様方におかれましては、日々のご多忙な中また家庭生活の貴重なお時間や浄財をご提供頂き、慰問コンサート並びに弊財団の活動に対しての深いご理解とご支援を賜りましたことに、重ねて深く感謝申し上げます。
さらに今後とも、変わらぬご支援ご協力を賜りますよう心からお願い申し上げます。
2011年5月18日
<報告書>
MINEHAHA・第2回東北被災地慰問コンサート
主催:ありがとう地球財団
協賛:千人歌ご参加の皆様
協力:木原啓子氏
開催日:2011年5月6日
開催地:宮城県石巻市
① 第二ひたかみ園:障害者施設(入園者25名と職員10名参加)
初めは、動き回る人や騒ぐ方もいたが、次第に歌に聴き入り
最後は、皆さんの表情も明るくなり拍手したり触れあったり
大変に喜んでいただいた。
② 湊小学校:避難所並びに生活支援品の配給所(小学生5名・大人20名参加)
体育館は生活支援品の配給所のため人が少なかったが、歌うにつれ人が集まり出し、次第に集中して聴く姿が見られ又、遠くで聴き耳を立てる自衛隊の
方々もいた。下をうつむきジッと歌に聴き入る子供達の姿が印象的だった。
涙ながらに握手し、元気づけられた!と拍手で見送られた。
③ 女川体育館:避難所(ロビーにて:約200名参加)
壊滅的な町の状況にも関わらず、整然とロビーに集まり中には正座のまま、立ったままで真剣に歌に聴き入る姿が印象的だった。CDをどうしても買いたいと申し出る人や、懐かしい歌をもう一度聴かせてほしい、今度はいつ来るの?など、たくさんの反響が寄せられた。
会場行政責任者:女川町教育委員会 生涯学習課課長
現地世話人:女川観光協会会長(被災者)
④ 桃生小学校体育館:避難所(宮城県各地からの避難者約200名)
夕食終了の後、歌を披露したがCDプレーヤが故障したため、急遽パソコンから音源を出しマイクで拾いながら歌い続ける。会場は初め、二カ月に渡る避難生活に疲れ切った様子だったが、歌い終わると沢山の感謝の声が寄せられ、突然だったがとても癒されたと喜びの声を伝えてきた。
現地案内:白井明子氏
開催日:2011年5月7日
開催地:宮城県亘理郡
⑤ 個人宅(被災を免れた地区のお宅に16名集まる)
歌が終わり、車座になって今回の災害について語り合う。自然災害のせいだけでなく、これまでの生き方を改めるべきとの声が圧倒的。又、考えの違いを述べ問題点を浮き彫りにする、市民協議の大切さも認識した。さらに被災農家の「一方的に押し付ける行政の在り方が混乱を招く」の声に、皆が賛同。
「歌の力を実感した。多くの方に聴かせたい!」と再訪を望まれた。
⑥ デイサービスセンターしんまち(施設利用者60名、職員10名参加)
懐かしい歌に合わせうたう人が多くいた。途中で大合唱となり笑顔と拍手のコンサートになった。終了後、渡辺施設長と懇談。ご自身も被災され自宅が全壊、御家族は無事だったがご近所では沢山の死者を出した。こうして生きていることだけで有難い、とのお話。復興は、長期戦になるので是非、再度コンサートを町で開催してほしいと切望された。
開催日:2011年5月8日
開催場所:宮城県気仙沼市
⑦ 階上(はしがみ)中学校体育館:避難所(約200名)
体育館一杯に避難者が床を並べる。外には、自衛隊の給水車や仮設のお風呂が設置され、教室の一部も避難所になっている。体育館壇上から歌を届ける。
お昼の時間で横になっている人もいたが、起き上がり座り直して聴き入っていた。歌い終わり帰ろうとするミネハハの前に30名近い方がサインをもらう為に列をなした。「娘を波に取られちまった、、」と肩を落とす老女に「明るく生きて!それが娘さんの願い、、」との励ましに力強く頷いていた。
⑧ 気仙沼市市民会館:避難所(約120名)
二階ホールに足の踏み場も無いほど、被災者の床が作られていた。気温が上がったせいもあり室内の空調も悪く、高齢者や体調の悪い方にとっては厳しい環境だった。壁にもたれて厳しい表情を見せていたご老人が、歌を聴き終えると表情が一変。ノートを手にサインを求め、ベランダに出て我々を見送る姿に、歌の持つ力と心を通わせること大切さを痛感した。
現地案内:福岡裕氏 現地案内:村上きよ子氏
開催日:5月9日
開催場所:岩手県下閉伊郡田野畑村
⑨ アズビィ・ホール:避難所(約50名)
田野畑村社会教育課長坂本真知夫氏の案内で避難所を訪れる。
施設内には花が生けられ、明るい雰囲気。被災状況の内容はとても悲惨なものだったが、その表情には暗さが微塵もなく、助け合いと励ましと分かち合う空気に満ちていた。施設入口では、たった一隻残った「さっぱ舟」を前に
初老の漁師の方の笑う姿に復興への意気込みを見た。
会場を後にする我々を、入口で手を振って見送る皆様に思わず合掌した。
田野畑村に流れる自立の精神と自治意識の高さに深い感銘を覚えた。
MINEHAHA・第2回東北被災地慰問コンサート
実施者:計6名 9会場合計参加者(約916名)
1、 MINEHAHA(ミネハハ)
歌手、横須賀出身。ミネは水、ハハは微笑みの意味。
CMの女王と評され3000曲のCMソングを歌う。
1994年デビュー以来、年間90本近くのコンサートを日本全国で開催。
訪れた地のNPO、市民団体等と協力して、学校、施設等でボランティア活動を行う一方海外でのボランティア活動も行う。
ありがとう地球財団役員
2、 加藤憲一
ありがとう地球財団理事長
3、 岩城安宏
ありがとう地球財団役員
4、 小関佳宏
ギタリスト
5,6、車両手配、他 多賀マリコ・西山令子
2011年5月23日 21:26
昨日、私たちが今までに経験したこともない巨大な地震、津波により東北・関東方面に大きな災害が起きました。
先日私が訪れた八戸の皆様のお顔、応援してくださっている東北地方のたくさんの方々のお顔が浮かび、どうしていらっしゃるかと胸を痛めております。
どうか皆様、ご無事でいらっしゃいますように...。
お亡くなりになった方、被災者の皆様に心よりお悔み申し上げます。
哀悼の意を表しますとともに復旧にご尽力されている皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。
私は歌を通じて、全国の皆様のお力になれますように真心を尽くしてまいります。
合掌。
ミネハハ
2011年3月12日 13:13